深川とバリ芸能

今からさかのぼること1300年、大陸から海を渡り、日本に最初の獅子舞が伝わりました。伝来のルートも時期も様々、さらに各地で独自の変化を遂げ、多種多様な形となりました。

さて、時は平成、南洋インドネシアは芸能の楽園、バリ島より黄金獅子が深川に渡来し20年…。深川バロン倶楽部も、地域の神楽、いきた芸能として変化し続けています。

深川とバリ芸能のめぐり合わせ、意外に思われるかもしれませんが、実は江戸時代からご縁がチラホラ。百年、二百年後の深川バロン倶楽部に思いをはせつつ、江戸末期の地図でちょっとご紹介。

▼江戸切絵図「本所深川絵図」嘉永5年(1852)版(部分) 国立国会図書館蔵

深川美術 松平定信 富岡八幡宮 鶴屋南北 石置場 葛飾北斎

■ 石置場


現在の町名は江東区古石場。深川バロン倶楽部とともに奉納を続けている古石場一丁目西町会は古石場の一番西側にあたります。バロン獅子の御魂入れもここで行われました。さて、写真はバロン獅子を追いかけるように古石場にやってきたバリの石像。この場所に20年近く鎮座していますので、すっかり馴染んでいます。石置場に石像。誰の仕業か、洒落込んだものです。【写真】

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■ 鶴屋南北


古石場のお隣、黒船稲荷地内に住んだ江戸時代の劇作家・鶴屋南北は、歌舞伎『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえからことばなし)』で、夢見心地の音に異国の木琴を取り入れました。初代歌川豊国の描いた『天竺徳兵衛韓噺』の役者絵に、初代尾上松助演じる徳兵衛が、その木琴を演奏をしている場面が描かれています。インドネシアジャワ島のガムランに良く似ていますね。この興行の後、江戸ではちょっとした木琴=ガムランブームがあったようで、数々の錦絵に登場しています。

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■ 奉納…富岡八幡宮

寛永4年(1627)創建。毎年8月15日を中心に行われる深川八幡祭は江戸三大祭の一つ。文化4年(1807)には永代橋を崩落させるほどの人出でした。現在も永代通りを水をざぶざぶ浴びながら神輿が連合渡御する様子は壮観です。深川バロン倶楽部は平成4年(1992)から例祭にて奉納。また、土日のいずれか、天候の良い日の夕方に境内で練習もしています。

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■ 葛飾北斎

本所割下水付近で生まれた北斎は、90回以上引越をしたそうです。ここ本所林町三丁目にも2度住んでいました。北斎漫画には、尺八・琴・胡弓とともに、ガムラン(木琴)が描かれています。

青幻舎版『北斎漫画』より


ちなみに、北斎が絵を奉納した牛嶋神社では、深川バロン倶楽部も2011年より奉納をしています。
2013年は、北斎が奉納した「須佐之男命厄神退治図(すさのおのみことやくじんたいじのず)」にちなんで、チャロナランという厄除の劇を奉納します。

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■ 松平定信

霊岸寺に眠る松平定信公は、著作『退閑雑記』の中で、ガムラン(木琴)の記録を残しています。「… チヤンといふ木の拍子木ほどしたるを十八並べたり。その木厚薄あり。みな裏の方を削りてその厚薄によて音を分かつ。槌のごとき物ありてその木を打つに十八の数々みな音違へり。…」

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■ 楽器…深川美術

楽器作りにも取り組む深川バロン倶楽部。ここ白河にある深川美術の講師の皆さんの協力を得て着々と進行中です。さて、2012年のとある日、白河の西深川橋のたもとに古銭を売る老人がいました。「溶かして楽器に出来るかもしれない」と、メンバーが銅銭を購入しました。文久2年(1862)の「本所深川絵図」を見てみると、老人のいた場所は「銀座御用屋敷」、つまり鋳銭のための御用地でした。なんとなく不思議な縁ですね。

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